善悪の判断を手放して、自分をもっと好きになる方法
- あっちん
- 2024年10月11日
- 読了時間: 4分
私たちは誰しも、過去に後悔や反省するような経験を抱えているものです。
例えば「あの時、あんなこと言わなければよかった」「あの選択は間違っていたかも」なんて振り返ることもあると思います。でも、その過去の自分を許せないままでいると、なかなか前に進むのが難しいですよね。
今日は、そんな過去の自分の失敗や過ちを、善悪の判断なしに受け入れて、もっと自分を大切にするための考え方についてお話しします。
自己理解 vs. 自己受容 - その違いって?
まず、自己理解と自己受容の違いについて少しだけ触れてみましょう。自己理解っていうのは、自分の性格や考え方、感情の動きをよく知ることを指します。たとえば、「私はストレスが溜まると甘いものを食べちゃう傾向がある」とか、「怒りっぽいのは、自分が傷つけられるのが怖いからなんだ」とか、「スーパーカップはバニラしか食べない」など、自分の心や行動を知ることです。
一方、自己受容は、理解した自分をそのまま受け入れること。まぁ、それがよくわかんないなんて声が聞こえてきそうですが...その受け入れ方は後述するとして、特に過去の自分の失敗や、「ああ、あれは悪かったな」って思うことがあると、それを受け入れるのが辛くなる。その嫌な経験を善悪で判断しないことが大事なんです。
善悪の判断が自己受容を邪魔してるんだぞ?
自分を受け入れるって、一見簡単そうに思えるかもしれません。また、あほらしいとか思うかもしれません。でも、できていない人ほどそう思うんです。
私たちってつい「これは正しかった」「あれは間違いだった」って判断しがちなんです。
それはなぜか。あなたが「常識」を持っているからです。
特に、失敗した過去を振り返るとき、そこに「悪」ってレッテルを貼ってしまうと、自己批判のスパイラルに陥ることがあります。
例えば、友達との関係で失言してしまった時、「なんであんなこと言っちゃったんだろう」「私は悪い人だ」って思いがち。でも、その判断自体が自己受容の邪魔をしているんです。
少しきつい言い方をすれば、なぜその行動が悪だったと言い切れるんですか?
例えば相手を転ばせてしまったとして、相手が怒ったとする。
しかし、コケたおかげで電車に一本乗り遅れ、事故を回避できる未来だって待っていた。
あなたは事故を回避できた未来を知らない。あなたが転ばせたのは悪?善?
少し極端な例ですが、そもそも「1つの過去の出来事」に対して、善悪の判断をしすぎるというのはあまり意味がないということは知っておいてください。
思考力(頭の使いどこ)を「判断」じゃなく「観察」に使う
ここで役立つのが、思考力の使い方をちょっと変えること。思考力って、判断するためだけのものじゃないんです。むしろ、過去の自分を「観察」するために使うことができるんですよ。要するに、萎えることに頭使うくらいなら自分を受け入れることに頭を使えということです。
たとえば、過去の自分の行動について「悪いことだった」とか「失敗だった」と判断する代わりに、「あのとき、私はどう感じてたんだろう?」「なぜそんな行動を取ったのかな?」って観察してみるんです。そうすることで、自分に優しく、理解しやすくなりますよ。
過去の自分を許すということ
自己受容の大きなステップの一つは、過去の自分を許すこと。過ちを犯しても、それをそのまま受け入れることで、少しずつ自己否定から解放されていくんです。
たとえば、「あのとき他人を傷つけてしまった」と思ったら、その瞬間の自分がどんな気持ちだったのか、どういう状況だったのかを考えてみてください。きっと、その行動にも理由があったはずです。そしてその理由を理解できたら、過去の自分に少し優しくなれるかもしれませんね。
善悪を超えて、自分をもっと愛そう
最終的に、善悪の判断を超えることができたとき、私たちは本当の意味で自分自身を受け入れ、愛することができるようになります。過去の失敗も成功も、どちらも大切な経験として受け止められたとき、自己否定から解放され、より自由になれるんです。
そしてその自由の先には、もっと前向きな自己改善が待っています。「私はこのままでいいんだ」と思えることで、さらに自分を成長させるための力が湧いてくるんですよ。
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